2021年8月7日土曜日

変わるもの・変わらないもの

  「お盆には少し早いけれど…ご先祖様にお参りに行かない?」義理の母からの連絡がありました。聞けば、お墓の引っ越しをしたとのこと。鹿児島のお墓参りの頻度の高さには当初驚きましたが(私の地元関西ではお正月とお盆の2回程度のお参りが多いのです)、今は鹿児島のお墓参りの頻度が当たり前の感覚になっています。もちろんです、とお返事して当日は家族全員でお参りをしてきました。

新しいお墓に参るのは今回が初めてです。場所を確認していざ出発。到着したのはお寺でした。車を止め、いざ境内へ。見慣れたよくある墓地を通り抜け、到着したのは建物。そう、お墓の引っ越し先というのはお寺の納骨堂でした。

恥ずかしながら、私は納骨堂に入るのは初めてです。よく見知った墓地との違いに戸惑いながら、ようやくご先祖様が眠る場所に到着しました。お花を供えることもなく、線香を灯すこともないお墓参りには、今までとは大分違う感触を感じます。ですが、「チーン…」という鈴の音、それを合図に目を閉じて手を合わせ、ご先祖様を感じながら祈りを捧げることは、今までと何ら変わることのない「お墓参り」。目を開けたときには、それまでの戸惑いを感じなくなっていました。

今までのお墓を永遠の「家」とするなら、納骨堂の中のお墓は永遠の「集合住宅」とでも表現するのでしょうか。形の違いに少し戸惑いを感じたのは確かでしたが、ご先祖様に手を合わせ、祈りを捧げるのはどちらでも同じことでした。

形は時代とともに変わりますが、そこに込められているものは変わりません。私たちの学習指導でもそれは同じことです。形にとらわれるのではなく、その中にあるものを大切にしていこう、と改めて感じたお墓参りでした。