2021年9月10日金曜日

気づかぬ間に

 今年も夏休みが終わりました。コロナ禍での夏休みも2回目。来年は少しでも日常が感じられるようでありたいものです。

 夏休み、と言えば様々な遊び!と言いたくなりますが、それを阻むのは宿題の存在です。通常の学習に加え、夏休みならではの自由研究や工作などもあり、中々の分量を誇ります。自分自身が子どもの時、宿題には「子どもだけがやるもの」という印象を持っていましたが、大人になり、親の立場になると「子どもがするのを手伝うもの」という側面があることに気付くようになりました。子どもが主体であるということをしっかりと意識しているつもりではあるのですが、父親の出番はここだ、と言わんばかりに工作に取り組む自身の姿があります。

 今年の工作は文房具箱にするよ、と息子から設計図を見せられ、いざホームセンターへ。材料を購入し、工作室にある専門の機械をお借りし、試行錯誤しながらの工作。拙い所もたくさんありましたが、一生懸命作ったから良いものになったねぇ、と言いながら帰宅。一つ宿題が終わった安堵感も手伝って、非常にいい気分でした。

 ところが翌日、浮かぬ顔の息子と妻。「ちょっと話があるんだけど…」と切り出した妻の言葉に続いて出てきたのは「もう一度工作をやり直したい」という息子の気持ちでした。「僕はもう自分でできるから、自分で工作を完成させたい。お父さんが手伝ってくれたのは嬉しかったけど、だからこそ昨日は言い出せなかった…」と。

 思わぬ息子の言葉にハッとしました。息子の主体性がそこまで大きくなっていることに迂闊にも気付かなかったのです。子どもを一人の人格として尊重しよう、と意識していたつもりでしたが、息子は私が思うよりも早く成長していたのだなと気づかされました。

 息子は私がその言葉に怒るのではないかと思ったようでしたが、私はどこかすっきりした気持ちでした。「気づかなくてごめんね。自分でやってごらん」というと、息子の表情はぱぁっと明るくなり、うきうきと工作に取り組み始めました。

 自分で寸法を測って木材を切り、穴を穿ち、釘を打って固定し、やすり掛けしてニスを塗る…一連の工程を経て出来上がった文房具箱は、本当に見事なものでした。始業式の日、それを大切そうに持って登校する息子の姿は、今までに比べどこか大きくなったように感じられました。

古代中国の諺に「男子三日会わざれば刮目してみよ」というものがあります。解釈は種々あるようですが、「三日も経つと男(人)は成長しているものだから、三日も会わなければ注意してしっかり見なさい」と解されることが多いようです。成長する姿をよく見、それを喜び、それを尊重することを楽しみたいものです。