2022年4月20日水曜日

英語という科目

  「英語、喋れますか?」…「答えにくい質問」の一つに上げられる質問だそうです。確かにこれは答えにくいです。「喋れない」と断定するにはちょっと、、ですし、「喋れます」とまではなかなかハードルが高いです。「喋る」と言っても、「ハロー」とだけ喋って後沈黙…というわけにもいきませんし()。また、「英語を喋れる」という基準にもなかなか難しいものがあります。日常会話ができるレベルなのか、それとも論文を読めるレベルなのか。今回ブログ原稿を書くに当たり、「英語のことを書いてみませんか?」と来ましたので、英語についてちょっと真面目に考えてみようと思います。

 「英語を話せます」と言い切れないのは、「こういう時どう言えばいいんだっけ?」と迷うことが多いのが一つの原因であるように思います。私たちが言いたいことをサッと英語に変換して出せればいいのですが、ついつい「これでいいのかな…」と迷ってしまって時間がかかり、結局話さずじまい、、となることが多いように感じます。簡単に考えればいい、というアドバイスもありますが、それもなかなか難しいですね。

 ですが、私たちが日本語を話す時に「これでいいのかな…」などと考えることはありません。小さなころから聞いている言葉が自然と口をついて出てくるからです。周囲で話される言葉は、自然な形で私たちのからだに染み付きます。英語を母語としない私たちにとっては、この言葉の蓄積をどうするか、というのが大きな壁になりそうです。

 以前読んだのですが、赤ちゃんの周囲で言葉が話されているとき、赤ちゃんの脳の言語野の血流が増える現象が観察されたそうです。意味は分からずとも、赤ちゃんは音として言葉を認識し、成長につれてその聞いた言葉がからだに染み付き、いわゆる「話せる」状態になる、という内容でした。そう言えば、私たちも小さい頃に聞いた言葉や歌については、何年経っていても、頭ではなくからだがそれを覚えていますよね。後になって意味が分かる、というのもままある話です。これは日本語のみならず、言語を習得するときに大切になる要素です。多くの言葉に触れ、それが私たちのからだに蓄積していくと、いずれそれが「使える」ようになるのでしょうね。広い意味での「勉強」はからだを使って行うものなのかと思います。

 あせすでは、小学生英語授業の導入に英語の歌を取り入れています。先日驚いたことに、小学生たちが授業でやった英語の歌を歌いながら登校してきました。意味は分からずとも、子どもたちは「音」として英語を捉え、ただ「音」として英語を発音していました。たくさんの「英語」に触れ、それが自然な形で子どもたちのからだに蓄積したとき、きっとそれは使える英語に繋がっていくのだと思います。子どもたちが大人になり、「英語、喋れますか?」と聞かれたとき、胸を張って「はい!」と言えるように、子どもたちのからだに英語を届けたいものです。